【女バックパッカー】トルコで拉致されるの巻

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旅をしてると、トラブルはつきもの。気を付けていても、うっかり大変な目に遭うことも。

今回は、トルコであったドキドキする話をシェアします。

トルコで起きた怖い話

これは、今から8年ほど前の話。

わたしは女友達と二人で大阪から船で上海に渡り、特に行き先も決めず旅を始めた。

アジアを抜けて中東まで進み、ヨルダンからシリアへ入国拒否されてしまった。

そこで急きょ飛行機でトルコへ行くことになった。

緊迫していた中東の国境とは一変、トルコの陽気で平和な雰囲気は最高だった。食べ物もワインも美味しくて毎日楽しく過ごしていた。

ただ、トルコ男子の日本人となんとかなりたい感がすごくて、 電車でチカンに遭ったり街でナンパされたりするのは面倒だった。でもみんな明るく朗らかなので、ものすごく困るようなことはなかった。

カッパドキアで道に迷う

イスタンブールからカッパドキアに移動し、ギョレメの素敵なホテルに泊まっていた。

街の散策も楽しくて、静かな田舎町をよく二人で歩いた。旅が長くなるにつれて、歩くことに慣れてしまっていた私たちは、ある日ホテルからずいぶん離れた所まで歩いていたことに気づいた。まだ3時頃だったが、もう季節は11月。日暮れはあっという間だ。

焦ってホテルに戻ろうとしていたら一台の車が通った。中には優しそうなトルコ人のカップルが乗っていて、こんな何もないところを歩いている私たちを心配してくれてるようだった。この時運転していたぽっちゃりした男性をハムちゃんと呼ぶことにする。ハムちゃんたちは、ものすっごく拙い英語で、わたし達をホテルまで送ってくれるようなことを言ってくれた。優しくあどけない二人に、わたし達はつい気を許してその車に乗った。

そこから予想だにしない展開になってしまうとも知らずー。

謎の男の登場に空気が激変

ホテルまでの道中、ほとんど英語ができない二人とも打ち解け、楽しく帰っていた。途中で気球が見える渓谷に寄ってくれて、一緒に写真を撮って過ごしていた。

少し経つと、もう一人トルコ人の男性がやってきた。彼をダンディと呼ぼう。トルコ人によく居る、フェロモン出まくりのイケメンだ。ダンディはハムちゃんの友達で、英語が話せるので通訳として来たと言っていた。

「そろそろ行こうか」と言われて出発する時、気づいたらトルコ人女性がいなくなっていた。どうやらダンディの車で帰ったようで、いつの間にか男2女2になってしまっていた。

「さっきの彼女は?」と聞くと「あれは彼女じゃなくて妹だ」と言われた。

なんだか嫌な予感がしたが、ホテルに向かってるようなので大人しくしていた。

ディナーと言う名の連れ去り

「ディナーを一緒に食べよう」と言われた時には、さすがに「行かない」と言った。でも、私たちの意思を聞く気はなさそうで、ホテルへの知ってる道をどんどん通り過ぎてしまった。しばらく騒いだけど、ムリそうだったので方向転換することにした。「ディナーが終わればぜったいホテルに帰してくれ」と約束させて、仲良くした。逆上されて最悪の事態になっても困ると思ったし、どう見てもそんな悪そうではなかったからだ。

ディナーの場所は、レストランではなく山小屋だった。こんなところ、何があっても誰も来てくれない。ヤバいな…と思ったけど、とにかく冷静に、凛とした姿勢で臨んだ。「本当にディナーを食べに来ただけでしょ?」と、微塵も疑ってないようなピュアさを押し出した。

あっちはもちろんディナーなんてする気はない。どうにかワンチャン欲しいのだ。用意されてるのは大量のお酒とつまみだけだった。

「全部飲んだら帰れる?」と最初に何度も確認して約束させた。幸いお酒は強い方なので、気をしっかり持ってハイペースで飲み始めた。ハムちゃんはきっとダンディの指示で動いてるだけで、問題はダンディだ。わたしは彼と仲良くすることにした。

わたしはどうにか、ダンディをわたしの友達狙いにさせることに成功し、その相談役として間を取り持つ感じの立ち位置になった。その間友達にはハムちゃんとふんわり飲んでもらっていた。

友達にはずっと付き合ってる彼がいて、日本で待っている(これは本当だった)。日本人は、そんな簡単に誰かを好きになったりしないし、付き合うなら結婚しないといけない文化だ、とダンディに教え込んだ。

今まで軽い気持ちでイケると思っていたダンディが、だんだん変わっていくのがわかった。

トルコ人を丸め込む

わたしは何度も念を押した。「本当に本当に彼女のことが好きなの?ちゃんと責任とれる?」そして「日本にはめっちゃ可愛い子がいっぱいいるよ。日本に来たら紹介するよ」と、希望を持たせた。

ダンディは、だんだん私をものすっごく信頼するようになり、ただの友達のような感じで飲めるぐらいになってきた。その間もわたしは急ピッチでお酒の瓶を空けていく。わたしはとにかく友好的かつ女性さを一切出さないよう細心の注意を払った。

ハムちゃんはすっかり酔いつぶれて寝ていて、友達もややウツラウツラしていた。

ダンディはすっかりわたしを慕ってしまい、お悩み相談室のようになってきた。無事にお酒も空になり、約束通り帰ることになった。ダンディは帰る準備をしながらわたしに何度も念を押した。「ぜったい日本人の女の子紹介して」」「日本に行ったら助けて」わたしは約束して、彼の連絡先のメモを受け取った。

最後の最後にダンディが「俺おてんこに自信あるのに」などと急に言い出し「見てくれる?」と車の裏の真っ暗闇でいちもつを見せてきたときはどっひゃー!となったけど、顔色一つ変えず「普通やな」と言い捨てて、ダンディの男のプライドをすべてぶっ潰してホテルに帰ることに成功した。

最後までぬかりなく

ホテルまで送られて、滞在場所を知られたくなかったので、ホテルからほんの少しのとこにある行きつけのレストラン前で降ろしてもらった。ここなら何かあってもレストランの人が見てるし、降ろされたらすぐレストランに入った。車が発進してようやく安心した私たちは、グッとお腹が減り、遅いディナーをようやく食べた。

こうして無事に長い午後は終わり、旅は続いた。

それから1年ほど経って、同じカッパドキアで日本人女性2人組が殺傷される事件が起きた。

同じ日本人2人組だったので心底ショックだったし、こういう事件があるたび心底思う。

今ここに生きていることは本当に当たり前ではないんだということを。

いつだって生と死は紙一重なんだな。生きねば。

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